プロフィール

脳科学×心理学で折れない心をつくる
しなやかメンタル子育てレッスンをお伝えしている満川(みつかわ)ゆきこです。
不登校や発達障がい、不安障がいなど、心のケアが必要なお子さんをお持ちのお母さんにカウンセリングを行っています。

私は大学を卒業後、教育と福祉の分野で長きに渡り、500名以上の対人支援に携わって参りました。

【教育】
▸全日制高校教師
▸通信制高校教師
▸通信制高校サポート校教師
▸行政による生活保護・ひとり親世帯の子ども対象の学習支援相談員

【福祉】
就労移行支援 支援員
(障害のある人が一般企業へ就職するためのトレーニングやサポートをする国の福祉サービス)



これらの経験を通してわかったことは、お母さんの心の在り方が子どもの未来に大きく関わるということ。



そしてそれは、どんな子育てにも共通して言えるということです。



私自身、かつては得体の知れない生きづらさを抱え、診療内科に通院しながら子育てをしていた時期もありました。



それでも脳科学と心理学によって、ネガティブな出来事が起きても悪循環に陥ることなく、穏やかな心を保つことができるようになりました。

機能不全の家庭で育ち、自己否定をしていた10代

私は幼少期から本当の自分の気持ちを出せないまま大人になり、自分を否定し続けていましたが、その原因は機能不全の家庭で育ったことにありました。


夫婦喧嘩の絶えない両親と、年の離れた(私から見ると)優秀な兄の4人暮らし。

父はお酒に酔うと母に暴力を振るい、包丁を持ち出すこともしばしば。

朝起きると室内のガラスが割れていたこともありました。

母は常に世間体を重視していて、私の兄には「男の子だから」と非常に教育熱心でした。



当時は時代のせいもあったのでしょう。
進学校から有名大学に入れば一流企業に就職でき、将来が約束される。



兄は両親の期待を背負って中学受験の準備をしていましたが、その裏で私は、「お兄ちゃんにお金がかかるから、あなたに出せるお金はないの」と常々母に言われていました。



自分には存在価値がないんだろうな… 



そんなふうに捉えていました。



そんな両親に不平不満を言うとこともありましたが、それを口にすると、母から返ってくる言葉は


「嫌なら出ていきなさい」


いつしか私は不満も言わなくなりました。



次第に両親の不仲はエスカレートし、毎日のように怒鳴り合う両親を見ていたせいか、中学生の時に私は原因不明の腹痛と下痢に悩まされるようになりました。



「この親の管理下にいる限り、私は幸せになれない」と、心の中でそう思い込み、「本当の自分を出して楽しく過ごすなんて、私には無縁だ」と、漠然と諦めていました。



こんなふうに考えることで、無意識に自分の心が傷つかないようにしていたのだと思います。



「今までよりも辛いことが起きなければそれでいい」



楽しく過ごしている大人になった自分を想像して、かすかな期待はするものの、心の奥底ではいつもそう思っていました。



心理の世界ではこれを「人生脚本」といって、育った環境によって自分のその後の人生を決めてしまう考え方(信念)が、脳科学的には7歳くらいまでに出来上がってしまうと言われています。(とはいえ、いつからでもこの脚本を書き換えることは可能です)


私は「期待したところでどうせ思い通りになんてならない、なるわけがない」という人生脚本を自ら作り上げていたのです。

母の言葉が作った私の生きづらさ

「周りからどう見られているか気にしなさい」

これは私が幼少期から日々母に言われ、頭に深く刻み込まれた言葉です。


幼心に「いい子でいないと嫌われる」と理解し、「いい子」を演じることが最優先になっていきました。


学校では先生や友達に嫌われないように、家では母に嫌われないように。


嫌なことがあっても顔に出さず、自分の気持ちを表すことを自分で禁止していました。


常に誰に対しても顔色を伺い、相手に合わせることを最優先にしていたので、本当の自分が自分でもわからなくなっていきました。


常に周りからどう見られているのかを気にしなくてはならなかったので、勉強もスポーツも、良くない結果が出ることが怖くてチャレンジできませんでした。



中学や高校では、楽しそうと思った部活も「お金がかかるからだめ」と母に言われ、やらせてもらえず、進学を控えても塾へは行かせてもらえませんでした。

何もとりえの無い自分は恥ずかしいと思い、学校ではとにかく人目につかないように過ごしていました。


いい子を演じることを止めたくても止めてはいけない


止めたら私は嫌われる


そう思い込んでいたので、友達や恋人にも心を開けず、傷つく前に自分から去っていました。


本当の私を理解してくれる人なんていない。


心の底からそんなふうに思い、どこにいても、誰といても、心の中では「常に周りの目を気にする」生きづらさを感じていました。

後の人生を変えた脳科学と心理学に出会った20代

とにかく早く親元を離れたかったので、高校卒業後は奨学金を借りて留学をしました。


留学先の教育大学で必修だった、『子どもの発達』という授業こそが、後に私を救うことになる脳科学と心理学との出会いでした。


「生まれたばかりの赤ちゃんは、世界中の言語を話せる能力を持っている」


「育ちゆく環境の中で、話す言語が絞られていく」


「すなわち、子どもは与える環境次第で、その能力をいかようにも発揮できるのです」


子どもが持っている可能性の素晴らしさに心を打たれました。


この世に生を受けること自体が奇跡で、その奇跡を最大限に活かし、幸せに導けるのはお母さんだ。


そんなふうに考えたことが20年以上経った今でも変わらず、私の活動の源になっています。


そして教授は授業後の雑談の中で、こんなことも仰っていました。


人は何歳からでも変われるのよ」

半信半疑でしたが、授業で学んだ人間の脳の働きを考えると、それは本当かもしれない。


少し希望が見えた気分になりましたが、自分を変える具体的な方法はわからないまま、時間だけが過ぎていきました。


本音を言える自分になりたい、周りの目を気にしなくなりたい、自信が持てるようになりたい…


こんな願いをずっと持ちながらも変えられず、結婚という人生の大きな決断をする時でさえ、本当の自分の気持ちがわかりませんでした。

心療内科に通いながらの子育てと、自分を解放することの大切さを知った30代

私は結婚後、2人目の出産育児を機に退職し、育児本を読み漁っても解決しない我が子への接し方に思い悩んでいました。

来る日も来る日も突然スイッチが入っては泣き叫び、強いこだわりと激しい癇癪に翻弄されていました。


ひとたび癇癪スイッチがONになると、激しい時で3時間ほど全力で泣き叫び続けるのです。


不安なのかと思って抱きしめると腕に嚙みつかれ、努めて優しく声をかけるとより一層大きくなる泣き声、私にできることは、ただただ早く泣き止んでほしいと願いながら待つことだけでした。


「子どもがこうなっているのは私のせいだ」

「自分はだめな母親だ」



毎日こうして自分を追い詰め、やり場のない悲しみや苛立ちを自分の中に押し込んで、どんどん心が疲弊していきました。

また、
一番理解してほしいはずの夫に「助けて」が言えない自分、

常に自分を押し殺しての家族優先、

毎日繰り返される癇癪との闘い、

その頃は専業主婦だったので、それまで築いてきた自分のキャリアが崩壊していく感覚…

精神安定剤が手放せなくなることが度々ありました。



周りから置いていかれるような、言いようもない疎外感を感じていました。



やり場のない寂しさと悲しさと苛立ちは、完全に自分の中で押し込めておけるはずもなく、子どもに対してきつく当たることもありました。



心療内科にお世話になりながら、そんな自分の心をどうにかしたくて、学生時代に学んだ脳科学と心理学を改めて学び直しました。



藁をもすがる想いで必死に脳科学と心理学を学び直し、脳と心の仕組みを深く知れば知るほど、いろいろな事が繋がり始めました。



解決の方法は、意外にも、母である私の心が癒されることにあったのです。



私の癒されていない心が原因で、子育てを自ら苦しいものにしていたということがわかりました。



そしてそれは子育てに限ったことではなく、一人の人間として、自分の人生を心身ともに豊かに生きていくということに直接つながっていることもわかりました。

脳と心の仕組みを活かして解消した子育ての悩みと生きづらさ

学生時代に「子どもの発達」について学んだとはいえ、実際に子育てが始まってみると、当然教科書通りには進みません。



困った場面で確実な対処法があるわけではないので、毎日のように癇癪を起こす我が子を目の前に、ただただ耐えるしかありませんでした。



それでも、子どもの脳の中で何が起きているのか?



こういった視点を持って考えてみると、それまで感じていた負の感情が消えていきました。



子どもの脳の発達を知ると、子どもが癇癪を起していても、冷静に見守ることができるようになりました。



子どもの健やかな心身の発達を知ると、そこに合わせた声掛けや態度をとれるようになりました。



(留学時代にこれらを学んだはずなのに、やはり知識だけではだめですね…)



そして何よりの大きな気づきが、「母親の心の在り方が子育てに大きな影響を与える」ということでした。



子どものこだわりの強さや、激しい癇癪をどうにかしたいと思っていましたが、実は、私の無意識という領域にある心の在り方が、子どものそういった行動を引き起こす原因の一つになっていたのです。



まずは母親である私が、自分の心の在り方を見直した方が良いと気がつきました。

周りの目を気にすることが当然になっている自分

「母親はこうあるべき」と思い込んでいる自分

子育てのためと自分に言い聞かせて泣く泣く退職したことを根に持っている自分

本音を言えない自分

自分さえ我慢すればいいと感情にフタをしている自分


こんな自分から解放されることが、何より大切だったのです。


自分の心が満たされていないと、自分はもちろん、周りの人も穏やかに過ごせないとわかったのです。



お母さんと一緒にいる時間が自然と長くなる子どもは、まさに一番その影響を受けることになるのですね…

心が穏やかになった一つの気づきとは

子どもたちも少しずつ手が離れたので徐々に社会復帰を果たしていき、その後の私のキャリアに最も大きな影響を与えたのは就労移行支援の支援員でした。


18歳~58歳までの利用者さんを担当し、その方に適した仕事を一緒に探します。

ここで私は思いがけない数々の現実を目の当たりにしました。


引きこもり歴20年

30代になって発達障がいと診断

中学生で発症した統合失調症により体調不良が10年以上回復しない

バリバリ働いていたが、うつ病により離職

子どもが発達障害だとわかり、自分も検査を受けたらADHDだった

働く気はあるけれど1ヶ月と同じ職場で働けない


さまざまな事情の方々が、社会復帰を目指して通所されていましたが、その7割ほどの方々が不登校経験者でした。


当時のことを聞くと、みなさん口を揃えて「自分のことで悩んでいる母の姿が印象に残っていて、申し訳ないことをした」とおっしゃっていました。

そして全員に共通していたのは、極端に自分を否定し、自信を失っていることでした。



「社会復帰を目指して大きなチャレンジをしている方たちに、それぞれの幸せを手に入れてほしい」



この一心で心の土台作りをしてもらうことに取り掛かったのですが、その作業を一緒にしながら、私自身も自分と向き合う時間となりました。





そして気づいた答えは、





私はずっと他人軸で生きてきたということでした。





幼少期から安心できる場所がなく、母からは「周りの目を気にしなさい」と教え込まれていたので、常に他人の顔色を伺って生きてきました。

他人軸で生きることを止めて、
自分軸で生きていくことを決め、
脳科学と心理学の学びから得た方法で
自分の意識を変えたことで、
心がとても穏やかになりました。




周りの目が気にならなくなり、
自分の考えや思いを相手に
伝えられるようになりました。



そして私の心が不安から解放されたことで、我が子たちに対する接し方も大きく変わりました。


「母親はこうでなければならない」と私の中で勝手に描いていた理想の母親像を手放し、意識してところどころ手を抜いてみました。


すると子どもたちも大らかになり、結果として自主性が高まりました。

自分軸を持つと人生が好転すると体感した40代

自分も周りも幸せになれるのは、自分軸を持ててこそ。

就労移行支援事業所に通い、社会復帰を目指している方々は、私がそうであったように、自分を否定し続けてきたり、自信が持てなかったりしていました。



心が癒されていないと、常に不安を感じることになるのです。



でも、時間をかけてゆっくりお話しを伺い、ご自身との向き合い方と、脳と心の仕組みをお伝えしていくと、少しずつその不安が解き放たれ、言葉や行動が変わっていきました。



それは30代でも40代でも50代でも、年齢は一切関係ありませんでした。



初めは不安による体調不良から抜け出させなかった方も、自信を持てるものが何もないとふさぎ込んでいた方も、目の前のことで精いっぱいで理想(未来)の自分を考えられなかった方も、みなさん社会復帰を成し遂げました。


私自身もこの「脳と心の仕組み」を学んだことによって癒され、癒されたからこそ自分軸で生きていくと決めることができました。



社会に出ること、または社会復帰が難しい状況に陥ってしまう人を一人でも減らしたいと考えた時、まずはお子さんの不登校やひきこもりに悩んでいるお母さんに元気になってもらえたら、この課題は解決できるのではないかと思いました。



これを機に、心のケアを必要とするお子さんをお持ちのお母さん、生きづらさを抱えながら子育てを頑張っているお母さんのカウンセリングを行うようになりました。

お母さんの心を大切にするお手伝いがしたい

これまでに関わらせていただいたお母さんやお子さんも、頑なだった心が少しずつ解き放たれて、笑顔が増えていきました。



お子さんが摂食障害だったお母さんは、ご自身の考え方を柔軟にすることで、ご自分を責めることがなくなりました。



お子さんが不安症のお母さんは、ご自身に不安症の気質があったことに気がつき、心を癒すことで前向きになれました。



完璧主義で燃え尽きてしまったお子さんのお母さんは、ご自身の心の奥にあるものに気づき、心の余裕ができました。



お子さんが発達障がい(またはグレーゾーン)と診断されたお母さんは、それを受け入れられるようになり、お母さんもお子さんも未来を考えられるようになりました。



みなさん悩まれる内容はさまざまですが、実は、心に安心の土台を作ってあげることで、その悩みは解消されることがほとんどです。


ネガティブな感情が溢れてしまった心を癒してから、前に進みましょう。


心が穏やかになり、体調も安定し始め、自然と「困りごと」だったことが解消されていきますよ。



「子どもの将来のため」と信じてお母さんはたくさん頑張っています。



いつも頑張っているからこそ、ご自身を大切にする時間を作ってほしいのです。



お母さんが疲れていたり、不安だと、子どもも不安になってしまいます。



とても敏感なお子さんの場合には、お母さんが疲れているのは自分のせいだと思い込み、自己肯定感を持てなくなってしまうこともあります。



子どもの不安の蓄積が、大人になってからあらゆる生きづらさに繋がることも少なくありません。



お母さん自身の素敵な人生も考えながら、子どもたちの笑顔を増やしたい。


お母さんが満たされていると、子どもたちはそんな大人になることに憧れるようになります。



そんな社会をつくりたい。


🍀🍀🍀私の一番の願いです🍀🍀🍀